ユーゴスラヴィア連邦解体戦争・年表・コラム

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*凡例

1,年表作成に当たって参考にしたのは、主として日本の新聞であり、朝日、産経、東京、日経、毎日、読売、地方紙、その他の外電およびウェブサイトならびに刊行物などである。

2,古代や中世までの日付は、年単位、あるいは月単位までとしている。

3,年表で日にちが確定できなかった場合は月表示までとして組み込んでいる。

4,ICTYの正式名称は「旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所」だがメディアで一般的に使用されている「旧ユーゴ国際戦犯法廷」で通している。

5,「ムスリム人」との標記は、旧ユーゴスラヴィア連邦憲法で認められ民族名でもある。
ボスニア紛争の途中から「ボシニャク人」という標記が用いられ始めたが、ボシニャク人とムスリム人を別に分類をしている例もあるので、一貫性を保つために、すべてムスリム人として標記している。

6,個人名がメディアなどで途中から表記が変えられた者があるが、ここでは変えていない。
例えばコソヴォ自治州の要人、「タチ」はそのままで通し、「サチ」とは変えていない。

7,肩書は当時の肩書を使用している。

8,スターリングラード攻防戦でナチス・ドイツ軍が降伏した年月日は、パウルス元帥が降服した日としている。

9,参考にした文献や出版物は一括して表示した。

10,ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、概ねボスニアとして標記した。
ユーゴスラヴィアア連邦も、概ねユーゴ連邦と短縮している。

11,「ビ」と「ヴィ」については、刊行物および論文の標記はそれを尊重してそのまま使用しているが、作成者は「ヴィ」を使用している。「ユーゴスラビア」と「ユーゴスラヴィア」の表記の違いは、その考え方による。

12,ウクライナ戦争の淵源はユーゴスラヴィア連邦解体戦争に求められるが、ウクライナ戦争についてはその経緯のすべてを掲載してはいない。重点項目のみである。

2022年

市民グループ・ユーゴネット